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初老の声

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日本の保守政治家を考えるー終戦記念日にー (1)


                    19.8.15

 戦争とは、空から降ってくる爆弾や砲弾で人が死に、人の住む町が廃墟になり、人が飢えに苦しむことであった。
または兵隊になって敵兵や住民を殺し、あるいは密林の中や荒野で飢えたり病気になって死んだり死ぬ思いを味わうことであった。

 あれからもう62年も経ったので、住民や兵隊として様々な恐怖と苦しみを味わった人や無抵抗の人を殺した人の多くは死に、あるいはつらい思い出を抱きながら生き、それを経験しなかった人たちはそれぞれに自分の人生を生きている。

 しかしそういうこととは関係なく、日本の為政者は今、美しい軍事大国を夢見てその歩を進めている。

(保守政治家と憲法9条)

 保守政治家の中でもタカ派とされる安倍氏は、参議院選挙にあたり憲法改正を争点にすると唱えていたが、そこまで至らない問題が色々生じて大敗したため、改憲の問題はしばらく棚上げの状態になった感がある。

しかし憲法改正は自民党の結党以来の念願であり、今まではそれを明言することにためらいがあったが、安倍首相により改憲を目指すスイッチが入ったので早晩正面に出てくる問題である。

たとえば今後テロ特措法延長の議論などを経て衆議院選挙が行なわれた後などにもし自民・民主の大連立などの形ができたりすると、民主党内の一部に反対論があったとしても、憲法変更が衆参両院とも三分の二の賛成で可決という条件が意外と早く作られる可能性がある。

 そして3,4年後にもし国民投票になれば、新聞などがその重大性を訴えたとしても、『自衛隊を憲法に明記するだけのこと』『国際協力は必要』『国連軍への参加なら問題はない』という雰囲気の中で、多くの国民は二大政党が賛成していることだからと屈託なく賛成投票をして、あっさりと9条変更が決まってしまうかもしれない。
後は、変更された簡潔な条文の解釈が自由に行なわれることになる。

そうなればアメリカや韓国の国民のように、いよいよ日本国民に『戦争と平和』の問題が突きつけられることになる。
憲法で定められた「自衛軍」が、国連軍か多国籍軍としてどこかの戦争に出動して相手兵を殺したり、日本側に死傷者が出るということもあり得る。
アメリカとアジアのどこかの国との軍事紛争が生じれば、軍事同盟にもとづく集団的自衛権の行使ということで参戦し、その結果日本の基地や都市にミサイルが飛来するなどという事態もあり得ないことではない。

将来、アメリカや韓国にならって国民皆兵制が決定されるかもしれない。国民は納税義務と同じ理屈で兵役義務を負うことになるわけである。

 以上は仮のストーリーではあるが、もし自民党と改憲賛成の小沢民主党との変更条文の調整などが成り立てば、日本は「自衛軍」という名の行動の制約がほぼなくなった強力な軍事力を持ち、当面はアメリカ軍に追随しながら世界の色々な危険な場面に随時登場していくことになるわけである。


62年前に終わったあの悲惨な戦争を遂行した主役は軍部であったが、政友会・民政党という保守党が積極的な協力者となり、戦後両党は名前を変えて生き残り、やがて合同して現在の保守党である自民党となった。

自民党は「占領軍に押し付けられた」憲法を自主憲法に変えて、戦力を保持することを党の最大の目的としてスタートした。
 その後いわゆる『解釈改憲』を強行しながら実質的に戦力保持を実現し、世界有数の軍隊をつくりあげてきたのであるが、さらに自衛隊を戦闘目的で海外派兵したり、アメリカと交戦する国・勢力を自衛隊が攻撃するということになるとさすがに憲法解釈の限界をはるかに超えるということで、改憲行動が本格化したわけである。

終戦記念日にあたり、戦前戦後を通して為政者の席に座り続け、敗戦にもめげず再び強力な軍備を志向し戦争をいとわない保守党、戦争を国家の観点から眺め国民の目では見ない保守政治家というものは一体なんなのかということを少し考えてみることにした。

(1)終戦の日

終戦の日の昭和20年8月15日、陸軍省、海軍省、内務省、外務省などの軍事や戦争に関係する各省および地方行政機関では文書焼却作業におおわらわだった。
文書焼却の指示は朝鮮、台湾、中国などの海外の軍・行政機関や戦場の記録写真などを保管する新聞社などにも及んでいた。

首都東京が3月の大空襲で焼け野が原になり、その広大な焼け跡と大量の死者と焼け出されたおびただしい国民の姿を目の当たりにしながら平然と戦争政策を続けた為政者たちが、いよいよ連合国に降伏をすると一転してわが身の戦争責任を逃れるために数々の証拠を闇に葬り去ろうと懸命になっていたのであった。

各省の庭にうず高く積まれた文書が空を焦がして燃え、数日間昼夜を問わずその炎の中に次から次へと書類が投げ込まれて、醜くいまわしい過去がひとつ残らず煙になって空のかなたへ消えていくかのごとくであった。

恫喝による朝鮮支配、柳条湖事件、満州帝国樹立、南京事件、731部隊、毒ガス使用、華僑処刑、慰安所、捕虜の処刑や酷使、沖縄島民の虐待・自決強要-----それらのことがまるでなにもなかったかのように戦後が始まり、東京裁判はあったが、その後も為政者の口から国民に醜く忌まわしい過去のことが積極的に語られるということはついぞなかった。

 (東京裁判では戦勝国側の残虐行為だけでなく、アメリカの都合により731部隊や毒ガス使用のことは表面に出されなかった。)

 軍・政府関係者が厖大な書類で連日キャンプファイヤーをしている頃、満州では8月15日が過ぎても悲劇が続いていた。
政府の政策により集められた27万人の満蒙開拓民が、8月初めに秘密裏に撤退した関東軍から満州の各地で置き去りにされ、8月9日から始まったソ連軍の猛攻撃の中を逃げ惑う間に自殺、病死、餓死を含めて女性、子供、老人を中心に約8万人が悲惨な死を遂げ、その後も開拓民以外の民間人を含めて日本へ帰還できずに死ぬ者も多く出て、生き残った者もその多くがその後の苦しい人生を強いられた。

戦後になって関東軍の旧幹部は、そのことについて「開拓民を見殺しにしたのかと問われれば、あくまで作戦上の要請であったと答えるのみである」と冷然と述べている。
ソ連軍に関東軍が最前線にいるように見せかけて、開拓民を残したままひそかに撤退することが作戦上必要だったということである。
『軍隊は国民を守ることを目的にはしていない』といわれるゆえんである。
(中国への出兵理由は常に『日本人居留民の保護のため』ではあったが)

軍部の支配の下でそれと連携しながら戦前の政治を担当した保守政治家は、戦争が終わっても燃やした書類のようには政治の世界から消えず、そのまま堂々と為政者の席に残った。ひとたび巣鴨の監獄に入った者も舞い戻って大臣や首相になっている。

国民は、あの戦争が大国アメリカを敵にした無謀なものだったことや一般国民の悲惨な被害のことは比較的よく知っていたが、アジアの各地に侵攻した国家の本当の目的、そのために日本軍が謀略や恫喝を駆使したこと、そして外国や沖縄で行なった数々の非人道的な行為のことなどはいつまで経っても知らされないままだった。

また戦地の空や海や地上で活躍した将兵の数々の勇ましい物語は大いに聞かされていても、降伏が許されないために無意味な切り込み・万歳突撃をして多くの将兵が死んだ実態のことは聞かされなかった。
さらに、戦死とされる2百万人余の日本兵の大半が病死・餓死だったということもあまり知らされなかったし、まして耐えられない飢えと渇きの果てに死んだその無惨な状況については一切伏せられていた。その遺体の多くはまだ南の島々などに放置されているようである。

日本の保守政治家がドイツの戦後政治家とは異なり、国家の過去をできるだけ正当で立派なものにしておき、美しくない過去はできるだけ伏せておこうと努めた結果である。

終戦直後の保守政治家は、治安維持法・不敬罪・特高警察制度などの存続を主張したり、憲法改正論議においては天皇大権の存続を要請したり、ストライキを多発する労働組合を『不逞のやから』と非難したりというような戦前のままの意識水準であった。

また、神話上の神武天皇即位の日を国家の紀元とする戦前の「紀元節」がそのまま戦後の『建国記念日』となり、万世一系の天皇の永続を願う戦前の国歌『君が代』がそのまま戦後の国歌とされたが、ともに保守政治家の主張を押し通したものであった。
靖国神社を国家施設とする法案を繰り返し国会に上程したこととあわせて、日本の保守政治家の復古的な体質が強く現れていた。

日本が憲法上国民主権の民主主義国になってから早や60年余が過ぎ、その間
軍隊の復活、日米安保条約、高度経済成長があり、企業の海外進出が進み、東西冷戦構造はなくなり、そして21世紀になったのだが、依然として保守政治家が日本の権力の座にすわり続けている。

そして保守政治家は、今では戦前のように「天皇の大権を利用して武力で植民地を獲得し、他国を侵略して支配地・権益を拡大する」というような古い形ではなく、当面は対米協調を基本にして、「国際貢献」や「世界平和への責任」といったインターナショナルな大義名分をかかげて、企業の海外進出にあわせて軍事面でも国際舞台に進出し、経済・軍事両面での大国になることを目指しているようである。

(2)保守政治家の問題発言

近年になっても保守政治家の放言などが相変わらずマスコミを賑わしており、その中に彼らの戦前と変わらない体質や心情が端的に現れているようである。

政治家というのは言葉が命なので、本来その発言にはかなり慎重なはずである。聴衆に受けることをたくみにしゃべり、不利になることは注意深く避けることにたけたプロであるはずなのに、それでも辞任につながるような問題発言をするのは何故なのだろう。

まず考えられることは、長年政権の座に居続けてきたことによるおごりからくる気の緩みがあり、また長く為政者の側にいる者として高い所から国民を見下ろすような習性が身に着いたため、「これぐらいのことは言っても大丈夫」として国民を甘く見ているところがあるからだろう。それは多くの場合何の問題もなく済んだが、今回の参議院選挙では相当マイナスになったようである。

もっと本質的と思われることは、彼らは政治の世界に身をおく人間なので慎重にしているつもりでも放言してしまうぐらいに腹の中に熱いものがたまっているからだろう。その熱いものがマグマのようになっているので、ちょっとした気の緩みでそれがあふれ出すということではないだろうか。

 彼らが聴衆の前などで話をする際に、日ごろから腹の中に持っている10ある思い・憤懣のうち控えめに2か3をその場のたとえ話などとして出したつもりが、往々にして立派な失言になるわけである。たぶんその時には特段何とも思わず、あとから指摘されても「俺の言い方のどこがおかしいんだ」とひとたびは開き直ったあとで、「ちょっとまずかったかな」と思うのだろう。

保守政治家は、終戦後とは異なり近年は『国際貢献』などのインターナショナルな主張を唱えて様変わりしている面もあり、また必ずしも天皇を重視してはいないようであるが、根本のところではやはり依然として [日本の] 保守政治家なのである。

彼らの問題発言の内容を見てみると、そのたまっている熱いものは、人権や民主主義に関するもの、戦前の国家の行為に関するもの、憲法の平和主義に関するものなどに三分類できるようである。

①人権や民主主義に関するもの

 保守政治家に共通する特徴の一つとして、国家の利益・威信・名誉などを重んじる傾向があるため、ときとしてそれとぶつかることのある人権や民主主義というものに対する感覚が希薄である(というよりも嫌悪している)ことで、それが「女は産む機械」とか「人権メタボリック」とか「アルツハイマー」などの言葉として時々ひょっこりと顔を出すのである。

もし、公開の場所ではなく完全に秘密が守れる仲間うちの場所ならもっとはっきり次のように言ったことだろう。

(女は産む機械)

最近の若い女どもはけしからん。自分だけ楽しく生きればよいなどと非国民な考えを持ち、祖先から受け継いだ国家を継続していくために子孫を残すという女の義務を果たさず、結婚しなかったり子供もろくに産まないくせに、年が寄れば一人前に年金の世話になろうという魂胆だ。これも戦後の民主主義、個人主義、男女同権の弊害のひとつだ。


(人権メタボリック)

人権人権と馬鹿の一つ覚えのようなことを唱えて、国民の義務を果たさず国に背く態度ばかりをとるやつらには困ったもんだ。大和民族の伝統と規範を大切にした戦前の国民の方がよっぽどか立派だったよ。教育のやり方を変えて子供の頃から規律と愛国と公共精神をしっかりと教えて、日本精神と日本人の誇りを取り戻さなきゃいかん。


(アルツハイマー)

役に立たない国民の典型がアルツハイマーの年寄りだ。そもそもばばあもじじいも国にとっては有害無益だよ。この連中は国費を浪費するばかりで国家の足をひっぱっている。生きている間は年金保険料を納めてもらうようにせにゃいかんし、長く入院している老人を病院から追い出せるぐらいに医療費負担をうんと上げなきゃいかん。


といった具合である。自分の政治信条から見て普段からにがにがしく思っている世の中の風潮などについて、控えめに遠まわしに言ったつもりが失言になった、というわけである。

彼らは、「民主主義」は利己主義や伝統の否定や衆愚政治につながり、「人権」は日本古来の道徳や国益や公共精神を無視する態度を強めるとして大なり小なりの嫌悪感を持っていることと思う。

なお、依然として天皇を崇拝する歴史観や心情を持った古いタイプの保守政治家の場合は、民主主義や人権は天皇の存在と相容れない観念であるため特に嫌悪感が強いだろう。
たとえば伊吹文部科学大臣のホームページを見るとかなり深く皇室を崇敬している心情が出ており、「天皇の存続はすなわち国体の維持であり日本国の根幹である」という意味のことを述べている。
また彼の発言に戦後の人権や民主主義の風潮を忌避し古来からの伝統的な道徳・規範の復活を願っている気分が色濃く出ている。

by oranu-tann | 2007-08-15 00:37 | アジアの平和