2007年 08月 15日
日本の保守政治家を考えるー終戦記念日にー (2)②戦前の国家の行為に関するもの 戦前の国家行動に対する保守政治家の評価は必ずしも一様ではないが、彼らの熱い思いが出る分野なので、発言の量もそれだけ多くなっている。 柳条湖事件以後の日本軍の行動について侵略性を認める者もいるが少数であり、大半の保守政治家は朝鮮進出から太平洋戦争に至る全過程を肯定的に評価しているようである。 それと、戦前の政府の計画や軍の命令にもとづく行為であったことを示す証拠が大量に焼却されて事実関係がわかりずらくなっているという事情とも関係して、大筋の計画から個々の行為に至るまで国家の関与または事実そのものを否定する傾向が強い。 『朝鮮併合は合法的であり、朝鮮の近代化に貢献した』 『日中戦争は自衛の戦争であり、日本に侵略の意図はなかった』 『大東亜戦争はアジアを欧米列強から解放する役割を果たした』 『南京大虐殺というものはなく、政治的プロパガンダの産物である』 『朝鮮の創氏改名は朝鮮人自身が望んでいたことから始まった』 『従軍慰安婦は業者の自由営業であり、国家による強制はなかった』 『沖縄の集団自決は住民の自発的な意志によるものであった』 『A級戦犯とされた人たちには戦争指導者として敗戦の責任はあるが、彼ら が誤ったことをしたとは思わない』 この場合は、歴史観や事実認否の問題もからむので、発言が必ずしも放言というわけではなく、むしろ確信を持って語っていることが多いと思われるが、複数の閣僚がその問題発言のために辞任している。 『朝鮮の植民地支配と中国に対する侵略などによりアジアの方々に多大の被害を与えた』という日本政府が対外的に表現している正式見解と明らかに相違する表現をしていることが多いのである。 これらの発言は、戦前の日本政府、日本軍の政策や軍事行動を基本的に肯定しているが、遠慮がちに言っている感じで完全な本音ではないようである。 本音を自由に言わせればたぶん次のようになるのではないかと思う。 朝鮮併合について ・日本はひ弱な朝鮮を中国やロシアの支配から守ってやり、あわせて日本の安全を確保するため、日清・日露の戦争を行って尊い民族の血を流したのだ。 また日韓併合は優れた国・進んだ国が劣った国・後れた国を庇護し育てるために行なわれたもので、国際的にも認められた合法的なものであり、創氏改名も朝鮮人の側からの要望があり行なったものである。 ・そもそも朝鮮は天然資源も民族としての力も乏しく植民地としての価値はなかったのであり、わが国は朝鮮を近代化させるために多大な国費を投入し、その成果として朝鮮半島のインフラ整備や経済および人的資源の育成が実現したのである。 ・反日宣伝をする者は朝鮮併合は悪いことだったかのように言うが自力で近代化のできない国に対してわが国が救いの手を差し伸べて多大な恩恵をもたらしたものであり、朝鮮から感謝されこそすれ恨まれるようなことではない。 日中戦争について ①満州事変は、張作霖が日本への恩義を忘れて様々な排日運動を行い度重なる経済活動への妨害工作により日本人居留民の生活が危機に陥ったため、これに対する我が国の防衛措置として行なったものである。 ② 満州帝国は、満州族が自分たちの土地に王道楽土をめざして建設した国家であり、日本は満州族の夢の実現と満州におけるわが国の諸権利をソ連から防衛するためにその国家建設に積極的に協力したものである。 ③盧溝橋事件は、条約による正当な権利に基づき演習を行なっていた日本軍に対して中国軍が不当な挑発的射撃を繰り返した事件である。 日本軍はそれに対して忍耐の限度に達して反撃をしたものであり、その後も日本は和平努力を重ねたが、中国側が戦争を拡大させたのである。 ④ そもそも日中戦争は、文明的に後れた中国が優秀な日本の力、善意を理解せず、ことあるごとに日本を侮辱し、日本を追い出そうと謀略や居留民迫害を繰り返したため、自衛のためと横暴な中国をこらしめるためやむを得ず行なったものである。 日本軍は国際法と軍紀を守って行動をしたのであり、南京事件は中国や国内左翼がでっちあげたものである。また、慰安所や慰安婦は民間業者の営業であり国は関与していない。 南方進出、太平洋戦争について ・南方進出は、わが国が盟主となってアジア諸国を欧米列強の支配から解放し東亜の新秩序をつくるためのものであり、日本軍はアジアの各国から解放者として大いに歓迎されたのである。 ・米英との戦争は、欧米列強が自国の植民地権益を守るために日本に対する包囲陣を敷き、それをわが国が突破するために戦ったのであり、アジアの解放と日本の自存自衛のための戦いであった。 ③ 憲法の平和主義などに関するもの この分野は、安倍首相およびその閣僚によるものが多くを占めている。 デモクラシーや人権思想への懐疑心、嫌悪感を持ちながらも、アメリカとの同盟関係を強化し、経済面だけでなく軍事面でも大国化をめざす方向性を持っているようである。 国民の平和な生活や近隣諸国との友好関係の維持ということよりも、国家の利益・威信・名誉ということに強い関心を抱けば、向かう方向はどうしても豊かな経済力と強力な軍備を保有する世界に誇れる偉大な国家ということになるのだろう。 なお、いわゆる右翼は、戦前日本がアメリカなどの植民地保有国と戦ったことや戦後の占領政策への反発から「反米」の立場をとるものも結構いると思われるが、日本の保守政治家はほとんどが「親米」であり、中でもアメリカの軍事行動を全て支持する「アメリカ追随」の姿勢をとる者が多い。ただその追随姿勢は日本が強大になるまでの一時的なものかもしれない。 『今の憲法はアメリカに押し付けられたものであり、日本の歴史と伝統が反映されていない。日本民族としての自主的な憲法に改めるべきである。』 『憲法の前文は、戦勝国に対するわび証文のようなものである』 『憲法9条は時代にそぐわない典型的な条文であり、独立国としての要件を欠く条文である』 『戦後のレジームから脱却しなければならない』 『占領の10年で途絶えた日本独自の規範意識を復活させる努力をすることが教育の根本哲学である』 『広島、長崎への原爆投下で多くの人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている』 『核兵器を所有するべきかどうかを論議することは問題ないだろう』 保守政治家は、戦前戦後を通して国家体制護持のため当然に「反共」が基本であり、東西対立の時代には安保条約にもとづき反社会主義陣営のアメリカと連携(実態は従属)をしてきた経緯があり、現在では物騒な北朝鮮への対策としてアメリカとの関係を緊密にしておきたいという思惑もある。 またあらゆる場面でアメリカとの間で集団的自衛権が行使できる態勢を整えたいと考えているようである。 あわせて、日本が『国際貢献、世界平和への責任』を果たすという大義名分により軍事大国化をはかるためにはアメリカとの連携が重要だと考えているのだろう。 現実に自衛隊は米軍の十分な技術指導を受け、両軍は組織的にも上下的な連携を保っている。 彼らの本心をすなおに吐露させれば、次のようになるのではないだろうか。 あ)戦後アメリカに強要された憲法により、日本が満足な戦力を持てず交戦もろくにできないために、北朝鮮や韓国や中国から甘く見られているのだ。 経済力に見合った軍事力を保有することは当然であり、強大な軍事力によりそれらの国に大国日本の威信を示すべきである。 い)経済力に相応した国際的な責務を果たすという面においても、国連軍あるいは多国籍軍として紛争地域などでの軍事行動に直接参加できるようにすることも国家の名誉として重要である。 う)また、アメリカが北朝鮮を先制攻撃する事態となった場合や中国と台湾の間で武力衝突が発生した場合などに備えて、ミサイル防御体制を整えるとともに、中距離ミサイルや爆撃機、航空母艦、原子力潜水艦などを順次保有し、あらゆる状況に対応できるように応戦能力を高めることも重要である。 え)さらに将来的には、海外特にアジアに進出した日本企業の安全な操業、シーレーンの防衛、市場の安定の確保をはかるとともに、アメリカに代わりアジアのリーダーとなることをめざして、アジア地域あるいは個別の国との安全保障条約を締結し、アジアでの前進基地を確保し必要な艦船や航空機を配置することも視野に入れていきたい。 お)国民皆兵制度は、アメリカ,韓国でも早くから実施されている普通の制度であるとして適当な時期に議論の対象にし,実施にこぎつけたい。 また、日本はいつまでも「あわれな被爆国」を演じているべきではなく、核抑止力として、また大国の証として核保有は考慮する価値がある。。まず非核三原則を北朝鮮の核使用を抑止する必要があるなどの理由をつけて反故にしたうえで、核保有を肯定的に議論するべきである。 (3)保守主義と現在の保守政権 ①保守主義 保守党というのは保守主義の政党ということであるが、保守主義とは本来はつぎのような内容のものであり、18世紀のイギリスで、フランスの革命運動を非難する思想として生まれたとのことである。 (ア)民族の試行錯誤を重ねた努力の歴史の中から形成された思想、考え方、道徳(=伝統)を重要視する姿勢 従って、過去から受け継がれた現国家の維持・発展が重要であり、改革は長い歴史と伝統を守りながら漸進的に行なわれるべきであるとして、過去との連続性を断ち切るような急進的な変革は否定される。また王・貴族・騎士・僧侶などとは異なる市民とか民衆という新勢力を歓迎しない。 (イ)国民が持つ権利義務についても、過去から受け継がれた世襲のものであるという考え 従って、王位も王に対する国民の忠誠義務も、過去から受け継がれたものであり、国民の権利はその受け継がれた枠の中にあるということになる。 「人は人として生まれたが故に本来的に人としての権利を持っている」という人権思想とは対照的なものである。そのような新しく人智が生み出した思想は人類の伝統に支えられていないため現実的でなく混乱をもたらすとして否定的であった。 その保守思想は、国家を国民大衆の上位に位置づける国家主義や、民主主義の政治を衆愚政治として否定的に見る姿勢につながりやすいものである。 また、国家が過去に行なったことを肯定的に評価する態度になりがちである。 ②開かれた保守主義 安倍首相は、「開かれた保守主義」を唱えているがその内容は次のようである。 『自分の生まれ育ったこの国に自信を持ち、今までの日本が紡いできた長い歴史を、その時代に生きた人たちの視点で見詰め直そうとする姿勢である。 そして歴史に根差した保守主義という基盤の上に立ちながらも、閉鎖的、排他的なものではなく現実に対しても虚心に目を向ける姿勢である』 「開かれた」というのは硬直的ではないという程度の意味だと思うが、それ以外はこの表現からは何もわからないので、彼が他のところで言っていることと合わせて考えると次のようである。 あ) 自国の行動にはそうしなければならなかった理由が必ずあるはずであり、国民は自国の歴史に自信を持ち、それを肯定的に理解するように努めるべきである。 戦勝国の判断に迎合して自国の行動を卑屈な目で見るべきではない。 い)過去の日本の行動を現在の価値観により批判するのは適当ではなく、その時代の価値観やその時代に生きた国民の目から見てどうだったのかという視点に立って見るべきである。 戦前の国家の行動は、他国の利益との衝突を伴ったが、国家の存続・繁栄を図るためのものとして必然性を持っており、また国民の圧倒的な支持を得たものであったはずである。 う)日本は、太古の昔から単一の大和民族が天皇を精神的中核として、他の民族に征服されることもなく一貫した悠久の歴史を紡いできたのであり、日本国民はその民族の歴史と伝統に対する誇りを忘れてはならない。 ③ 今後の保守政治の流れ 昔から保守政治家などに対して思い続けていることは、保守主義者とか国家主義者とかタカ派とかいわれる人たちは、他国民・自国民を問わず厖大な死者を出し、言い尽くせないほどの苦痛を長期にわたり与え続けたあの戦争について、特別悲惨だったとも悪いことだったともなんとも思っていないのではないか、ただ負けたことが悔しいというような野球の負け試合ぐらいにしか思っていないのではないか、ということである。 国家は将棋の指し手であり国民は将棋のコマである、というような人間を物として国家存続・繁栄の手段としてみる冷酷な感覚が今もそのまま生きているのではないかと考えさせられるのである。 そして彼らは、あの戦争を国家の悠久の歴史の中の壮大な物語の一ページとしてとらえ、他国・自国を問わず民間人の犠牲は戦争遂行上あり得ることとして二義的・末節的な問題であると認識し、また将兵の死は国のためにおおしく戦い砕け散った美しい姿として描いているのではないかと思うのである。 今、タカ派の安倍政権は参議院選挙で大敗し党内からも批判を浴びて弱体化している。 安倍首相が、防衛省をつくり教育基本法と国民投票法を制定し、今後憲法9条を変更して軍事行動の自由を獲得し、教育面での改革により国を愛し規範を重んじる国民を育てる態勢を整えて、美しい軍事大国に向けて歩を進めようとしていた矢先のことであった。 しかし今後の政権がどのように変化したとしても、この基本的な流れは大きくは変わらないように思える。 次の首相の最有力候補といわれる麻生外務大臣にしても、核武装論議容認発言や『創氏改名は朝鮮人の要望』『日本は台湾の教育水準をあげる立派なことをやった』という発言、部落差別発言、アルツハイマー発言など相当なタカ派で、かつ人権意識がかなり低い人物である。 同じく次期首相候補の中川自民党政調会長は、非核三原則見直し論や反中国・韓国姿勢で知られ、靖国神社を毎年欠かさず参拝するなど明確なタカ派である。 一方民主党の小沢氏は、自民党時代に、戦前の日本の行為に対する朝鮮・中国の非難は「いわれのない怨念」であり謝罪は「土下座」であると主張、また自衛隊を国連軍に派遣できるように改憲することを強く主張した人物である。 確かにルワンダの民族紛争など国連軍の強力な介入が求められる事例は今後も少なくないだろうが、小沢氏などが人命救済の純粋な心情から主張しているとは思えないのだ。 また若手のリーダーで前委員長の前原氏は自民党よりも右寄りと評される改憲論者のようである。 今後自民党と民主党との関係や衆議院議員選挙の結果や政界再編がどうなるのかなど先行きは不透明であるが、アメリカからの改憲要請も続くので9条改正の動きは一旦休止した後再び進行していくのではないだろうか。 そしてひょっとしたら、冒頭で述べたようなことになり、戦後初めて戦争参加により人を殺し、日本人の死者が出るということになるかもしれない。 そうならないように願うばかりである。 以上 (追) 今日、激しい雷が30分ほど続き飼い犬が家の中でブルブルと震えていた。 落雷の音を聞きながら、東京や沖縄や重慶やドレスデンやマニラなどの住民は、あの恐ろしい爆撃や砲撃の地響きと爆発音に落雷の百倍以上身が縮む思いがしたのだろうと想像した。 雷光が窓から入ってきたとき、広島・長崎の人たちはこの百倍以上の激しい光を見たのだろうと思った。 戦争を悲惨なものとは思わず再び美しい軍事大国をめざし、内心では核兵器の所有をも考えているような為政者や、『あの戦争は正義の戦いだった』『国民は祖国のために立派に戦ったのだ』と冷然と述べる保守政治家は、戦争のときでもいつも安全な所で優雅に暮らしていることだろう。 一度そんな彼らに激しい砲爆撃の場に身をさらしてもらって、恐怖で身が縮む思いと将来にわたる苦痛とを味わってもらうと良いかもしれないと思った。 それとも、残忍な侵略軍の捕虜になって針金で後ろ手に縛られて並んでもらい、銃剣で一人ずつ突き殺される順番をじっと待つという恐怖を味わう方が適当かもしれない。便衣兵だと決め付けられて無理やり家から処刑場へ連れてこられた住民であったなら、なおさらの恐怖だっただろう。 あるいは、旧日本兵のようにニューギニアかビルマかフィリピンの猛暑のジャングルの中で、激しい敵の攻撃から逃げ続ける歳月を過ごしてもらい、食うものも水もなく蚊にさされてマラリアにかかり、靴はボロボロになって足の裏から血を流して、ふらふらと生死の境をなお歩き続ける体験をしてもらうのも良いかと思った。 そんな体験でもしない限り、楽園の中でいつも「自分の国家」のことを考えている彼らの夢は決してしぼまないだろう。 (8/19)
by oranu-tann
| 2007-08-15 00:30
| アジアの平和
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