初老の声

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特別教育委員会

                     19.9.22
 終業のチャイムがなってから1~2時間仕事をするのが今村の習慣のようになっていたが、ふと仕事の手を休めて窓の外に目をやると夕焼けの空が見えたので、夕暮れの初秋の街を歩きたくなり、チャイムがなってからほどなく仕事をやめて会社を出た。
いつもは地下鉄で名古屋駅まで行くところを裏通りに入ってぶらぶら歩くと50分程かかる。

 黒々とそびえるビルの窓々に明かりが灯り、そのビルの間から見える西の空は茜色と黄色と緑色の雲が幾重もの層を作ってたなびき、それに続く上の空にはうっすらと赤く染まった筋雲と紺色の綿雲が上下をなして空に浮かんで、夕空のつかの間の輝きを見せていた。
見渡せば 花ももみじも無かりけり 裏の通りの 秋の夕暮れ などと替え歌を作りながら、もし地下鉄に乗ったり居酒屋の喧騒の中へ入っていたら、こんなわびしげな都会の黄昏と出会うことはできなかっただろう、と今村は思った。

 駅が近くなったころには空の輝きは薄れて、やがて全体が濃い青色に変わっていた。
小さなビルのウインドウに張り紙がしてあるのが今村の目にとまった。

『講演:少年非行は教育で無くせるのか?』

今日の6時30分からこのビルの地下2階小ホールでとの事で、入場無料なのでどうぞ、と書き足してあった。
今村がいつも考えている問題だったので、誘われるようにビルへ入りエレベーターで地下2階へ下りた。
今村の14歳になる中学3年の長男がいじめと恐喝に合って、半年ほど前から学校に行かず2階の部屋で自主勉強する日が続いているので、どんな話かぜひ聞いてみたいと思った。

 ホールに入ると先客が10人ぐらいいた。以前に会社の近くにある若手落語家の小劇場へ入ったときよりも客は少ないな、と思った。
まもなく50歳ぐらいの男が演壇に現れ、講演が始まった。

 講師は、少年非行の対策について、世の教育評論家などが述べる家庭教育・学校教育での対処や社会環境の改善や施設における更生などに対する疑問とともに、以下の自説を述べた。

 かつて驚異的な高度経済成長の時期に大量消費化、核家族化、少子化、高学歴化など国民生活の急激な変化が生じた。
その状況下で生まれた子供たちの多くが、親の過干渉または放任、子供部屋、室内での遊び、勉学ストレスなどの諸要因に囲まれて育ち、やがて典型的なケースでは、自分中心、忍耐が苦手、周囲への合わせ上手、さめている、などと評され「新人類」と呼ばれる青年になった。
現代における少年非行は、終戦後の貧困時代の非行とは異なり、その新人類が現在の非行少年たちの親になっているということにその根源がある。

 その新人類の間に生まれた子供の一部は、親譲りの自分本位な考えやすぐに欲求を満たそうとする傾向や他人や社会に対する無関心で冷たい態度や巧みに言い訳けをずるがしこさを幼いころから身につけ、その度合いの比較的大きい者が集まると悪質ないじめや万引きや恐喝を行なうような非行グループを形成する。

 少年の非行は教育あるいは自然治癒により一過性で終わる場合が多いが、悪質な少年の場合は教育による更生は困難であることが多く、特に非行グループの核になっているような少年の場合は教育的な方法はほとんど意味がない。
非行グループのリーダーとなるような少年は、幼児のときから冷酷さと狡猾さと群れを率いる才覚を人一倍多く身につけてきているので、それを大きくなってから更生しようとするのは無駄な努力に終わらざるを得ない。
川岸に寝そべるワニに向かって弱い者を食わないように説教するようなものである。

 非行の中心になるリーダーが存在する限りグループによる非行はなくならないので、現実的な非行対策は非行の中心になる人物に的をしぼるべきである。
有効な方法のひとつとして、非行グループのリーダーになる者には大きな災いがふりかかるという恐怖感を非行少年たちに抱かせることにより非行グループ全体を無力化させるというやり方が考えられる、と熱をこめて述べた。

 リーダー格の少年にグループをリードできなくなるような物理的な制裁を加え、あわせてグループのメンバーにも制裁を受けたリーダーの変貌した姿を見せつけることにより非行グループを自然消滅させるということを暗に言っているようであった。

 講演が終わり帰ろうとする今村を係りの人が呼び止めた。他にも何人かが声をかけられていた。
良ければ感想などを聞かせていただけませんか、 と軽く肩に触れられたとき一瞬快い刺激があり気持ちが高揚していくのを感じた。
招き入れられた小部屋で、今村は長男のことを話し、いじめたものに今も強い怒りの気持ちを持っていると述べた。しばらく潜在していた感情がふいに表面に浮かび上がった感じであった。

 今村は半年前に長男が学校を休み始めたことを奥さんから聞くと、すぐに長男にその理由を問いただし、中学校で不良グループにいじめられやがて金銭の要求をされたため、金を渡したくないので休むようになったということがわかった。
 今村は次の日に会社を休んで学校へ行き、担任の先生に面会してグループのリーダーと思われる少年を職員室へ呼び出してもらった。
リーダーの少年は、 ただ悪ふざけをしていただけで本気で金の話をしたわけではない、 と言い張るだけで、先生がこれからは悪ふざけをしないようにと注意し、少年は  わかりました、 と言って終わってしまった。

 その後一度長男は学校へ戻ったが、体育のサッカーなどで何度も足を引っ掛けられたり突き飛ばされたりした。また学校の下駄箱に入れてある上履きが刃物で切ってあったり教室の椅子にピンがいくつも貼り付けてあるなどの陰湿な攻撃が繰り返されて、長男はもう学校へ行きたくないと言って本格的に休み始めて3ヶ月以上経っている。
 長男が再び休み始めたときに今村は学校へ行き善処を求めたが、特定の生徒を証拠も無く犯人扱いにはできないので今後もよく気をつける、というような気のない話だったので、夫婦で長男と話し合った結果引き続き学校を休まざるを得ないということになった。
週三日家庭教師に来てもらって自主勉強を続けている。

 係りの人は今村に、 自分たちは犯罪行為や被害者を自殺に追い込むような悪質ないじめを行なうグループのリーダーとなっている少年を追跡調査し、証拠を把握した少年を捕らえて反省のおしおきをするチーム「特別教育委員会」を作っているので加入しないか、 と話した。

 係りの人はさらに次のように語った。

 非行の中心になっている少年の場合、少年鑑別所などに入るような場合は当然ですが、学校で注意を受ける程度の非行でも教育により悔い改めさせることはまず無理であり、非行は一層巧妙で陰湿なものになっていきます。
そしてその一部の者は将来、暴力団に入ったり、やみ金融、少女売春、ぼったくりバー、悪質出会い系サイト、架空請求詐欺、振り込め詐欺、悪質リホーム業などの悪徳稼業をやったりその従業員になって、人の生き血を吸うようなことを死ぬまで続けていきます。
 したがって、その悪ガキを少年のときに強制的に改造して、その者が生涯を通じて様々な形で多くの人に与える苦痛と損害を未然に防止することは大変に意義のある仕事であると信じております。
 かといってその悪ガキを抹殺してしまうとそれだけで終わってしまうので、特別教育により悪事ができないように改造して他の悪ガキたちの見せしめにすることで二重の効果が上がることを期待するわけです。

 今村は高揚した意識の中で、なんのためらいもなく委員会に加入することを告げた。
この組織は各市に支部があり、今村はT市支部に属することになった。

 他の数名の新会員と、非行少年の特別教育現場を実地見学することになった。
ホールからさらに下の階へ下りると駐車場があり、その空きスペースに20人ほどの人たちが輪になり、その中心に目隠しをされ椅子に座った2人の男がいた。
 説明によれば、二人を捕獲した状況は次のようだった。

 彼らは名古屋のK駅を根城にするカラーギャングと呼ばれる少年恐喝グループのリーダーとサブリーダーで、彼らがある日集会をするという情報を得たのでK駅に委員会の会員20数名がそれとなく小グループに分散して集まり、遠くから少年グループの動向を監視した。
 夜遅くに様々な服装をした10数人の少年が集まり、中央コンコースの北口付近でふざけあったりケイタイをかけたりしていると、警官がやって来て通行の妨害にならないようにと注意した。やがてリーダーが数人ずつに何事かを指示して少年グループはそれを機に四方へ散っていった。

 委員会の会員は飲食街と駅との間の要所要所に5,6人ずつ分散配置して物陰で見張りを続けた。
 一時間ぐらいの間に少年たちによるおやじ狩りと呼ぶ恐喝が二件発生した。それぞれ少年は三人組で、飲み屋から出て一人で駅へ向かうサラリ-マンにねらいを定めて人通りの少ない場所で襲っていた。
木刀を持った会員が、サラリーマンをナイフでおどかしている少年を急襲し、木刀で突きを入れたり首筋を殴打して倒し、さらに手足を殴打して抵抗をなくした。
 予定した手順では少年が取った金を被害者に戻し、別の者が回してきた車へ少年たちを乗せて二度と恐喝をしない誓約書を書かせるということになっていた。
一件はそのとおり実行できたが、もう一件は会員の車が来る前に人が近づいて来るのが見えたので少年たちを殴り倒して駅へ戻ったりケイタイをかけないようにしておいて引き上げたとのことであった。
反撃されてナイフで腕を負傷した会員も一人いたとのことである。

 パンチパーマのリーダーとサブリーダーは、K駅の北口付近で缶ビールを飲んだりケイタイをかけたりしながらグループ員が戻るのを待っていた。
 二人が少し離れたので、周囲に人がいないことを確かめて会員の二人がそれぞれ携帯電話型のスタンガンを持って電話をしているかっこうで二人の近くまで行き、スタンガンをほぼ同時に二人の顔に押し付け、続いて別の会員が短い金属棒で首筋を殴打し倒れた二人を車に乗せたとのことである。
全ては訓練したとおりに行なわれた。

 二人とも暴力団の準構成員であったが、三日前に捕獲されてから背中合わせに手を縛られ、足も縛られて胸のところまで水を張った浴槽に座らされた状態で監禁されていため、すごみのある表情は完全に消え失せてぐったりとした様子だった。

 二人は何かを食わせてくれと訴えたが、審判役の男が、今からカラーギャング2名の審判を始める、 と宣言した。
 左の者から住所氏名年齢を言いなさい、と指示すると二人ともはじめは横を向いて抵抗していたが、あきらめなさい、と厳しい声がかかると左の男からぼそぼそと言い始めた。声が小さい、と怒鳴られて二人は力をしぼって答えた。
リーダーは20歳、サブリーダーは18歳だった。

 審判役が、では自分がどんな悪いことをしたのかをそれぞれ言いなさい、というと、サラリーマンや高校生をおどかして金を取ったことを述べた。
自分でやった回数と人にやらせた回数を聞かれると、ほぼ同じ答えで、自分では2~3回、やらせたのは5~6回ということだった。
恐喝をやった時期と場所、金額、やらせた仲間の名前も白状させられた。

 審判役は、他にどんな悪事をしたのか白状しなさい、と命令すると、なにもやっていない、と答えたが、ポケットに持っていた覚せい剤のことを述べなさい、と言われると観念したように、暴力団から覚せい剤を受け取り仲間の少年に売っていることを二人とも白状した。
暴力団員の名前、回数と金額、覚せい剤を買った少年の名前も言わされた。
二人は最初のころは自分も覚せい剤をやっていたが体が変になりそうなのでやめたと述べた。

 審判役は、次のように審判した。
二人の白状には真実性があるので採用できる。弱い者をおどかして金を取る行為は悪質であり、覚せい剤が人間を壊すことがわかっていながら人に売る行為はさらに悪質である。
したがって二人にAランクの特別教育を実施することを決定する、と述べて審判を終えた。

 すぐに最上ランクであるAランクの特別教育が始まった。

 まず、手を縛って横に通した丸い棒の上にまたがせて足を縛り、手で体を支えながら「私は何度も悪いことをしました、もう二度としないので皆様どうかお許しください」と間違えずに百回唱えるように命じた。
疲労と空腹のために間違えたり声が小さくなったりすると、人の痛みを知れ、と言いながら木刀で背中や足を叩かれた。
途中で体を支える力が抜けて体が回転してさかさまにぶら下がった状態になったりした。終わるまで一時間近くかかった。

 次に一人ずつ四輪駆動車の前のバンパーの上に前を向いた状態で横向きに縛り付けらた。
車は駐車場から地表階へ行くらせん状の通路を猛スピードで上り、またその通路を猛スピードで走り下り、駐車場の壁の直前で急ブレーキをかけて止まり、反転してまたスピードを上げて上るということを何度も繰り返した。二人とも恐怖のあまり やめてくれー、と悲痛な声を上げ続けやがて失神した。

 最後に、二人の両手の甲のところへ焼きごてで○印の烙印が押された。
悲鳴がそれぞれ二回聞こえて特別教育は終わった。

 二人は机の前に座らされて、暴力団と縁を切り恐喝グループをすぐ解散させる、他人に被害を与える行為や迷惑行為は一切しない、という誓約書を書かされた。
もし約束を破れば今日の特別教育のビデオを公表し、何年経っても必ず再逮捕し、もっと厳しい教育をするとも伝えた。
 二人は目隠しされて一人ずつ離れたところで車から放り出された。


 今村は、その週の土曜日の午後にT市支部を訪れた。

 私鉄T駅の駅前にある雑居ビルの3階に支部事務所があり、看板は『囲碁愛好会』となっていた。入ると実際に一組碁を打っており、あと三組打てる囲碁セットが置いてあった。書棚には囲碁関係の本がならんでおり、囲碁の教育ビデオなどもいくつか置いてあった。
 対局を見ていた人が、いらっしゃい、と声をかけた。今村が名古屋本部で交付された特別教育委員会の会員証を胸ポケットから出すと、聞いております、どうぞ、と奥の部屋に案内された。
 さっそく本題に入り、支部長だというその男に今村は長男に金の要求をしたグループのリーダーについて名前や人相を話した。
 支部長は、高木洋介、ああ、その名前に覚えがあります、と言いながら、キャビネットから台帳のようなものを取り出しページを繰って、高木洋介の記事を開いた。
 ある父兄から子供が高木少年に再三いじめられているということで市の教育委員会に調査要求が出されて、教委は先月『子供同士の悪ふざけなのかいじめなのか判断は微妙であり、引き続き調査の必要がある』という答えを出した。父兄は学校に苦情を言っても積極的な態度が見られなかったので教育委員会に申し出たとのことであったが、市教委からも事実上幕引きをされたという印象だった。

 支部長は「さっそく調査をしましょう」と言った。支部長と碁を一番打ってから今村は事務所を出た。

 二日後の月曜日から高木少年の行動探索が始まった。今村は三日間の休暇を会社に連絡した。
支部長ともう一人の会員が、サラリーマンの風体をして今村とともに校門の近くに止めた車の中にいた。
 今村は高木と顔を合わせているので、車の中から高木を見つける役になった。いつも二人の仲間を連れているらしかった。
高木は予想通り二人の仲間と校門から出てきたが、ゲームセンターで遊んだ後解散してしまい成果はなかった。
翌日も高木は二人と別れてまっすぐ家へ帰り夜まで出こなかったので不発に終わった。

 三日目に、高木はいつもの仲間と校門を出てきたが、もう一人眼鏡をかけたおとなしそうな少年が一緒だった。支部長も今村もこれは何か起きる、と感じた。
支部長ともう一人が車から降りて、手帳を広げて何となく仕事の話をしているような振りをし、四人の少年の少し後ろを歩きながら徐々に近づいた。
 高木ら三人が眼鏡の少年を囲むようにして何かを言っていたが、するとその少年はポケットから金らしいものを出して高木に渡した。
そのとき高木が、こんなんじゃ足りねえよ、と大きな声を上げ、それが支部長らにはっきり聞こえた。
高木は眼鏡の少年に、じゃあ明日必ずだぞと言い、やがて少年たちは別れて高木は一人になった。

 支部長は車の今村に合図し今村は車を近づけ、支部長が高木の後ろから声をかけ振り向いた高木の首筋を金属棒で思い切り殴りつけ、よろけた高木をもう一度殴打し、倒れた高木を二人で車まで運び後部座席に投げ込んで手足を縛り目隠しをした。全ては練習したとおりだった。

 支部長たちは隠れ家に着くと高木を後ろ手にしばって目隠しをしたまま宙吊りにし、名前を言いなさい、と命令した。
 高木が黙っていると、その下に置いてある水槽へざぶんと落とした。しばらくもがいていると吊り上げられて、口から水を噴き出しながら、あわてて名前を言った。
眼鏡をかけた少年に何をしていたのか?、との質問に黙っていると、またざぶんと水の中に落とされた。
 引き上げられて同じ質問をされ、金を出してくれるように頼んでいました、と答えたのでまたおぼれさせられ、金を取って、もっと持ってこいと脅かしました、と言い直した。
これ以外に人を脅かしたことはあるか?と聞くと、ありません、と答えたのでまた水の中に落とされた。
引き上げられ、正直に言いなさいと言われて、胃の中のものを吐き出しながら市教委がからんだ一件のことを白状した。
 それ以外にはないか?と聞かれたとき、しばらく口ごもっていたので、今度は今村が怒りをこめて高木少年を水槽へ落とし、今までよりも長くおぼれさせた。
引き上げられた高木は激しくむせびながら途切れ途切れに今村の長男と、それより前にもう一人別の少年を脅かしたことを述べた。

 支部長は、高木に二人の仲間を携帯電話で呼ぶように命じた。それが済むと高木を裏庭でごつごつした砂利の上に正座させ、人の痛みが良くわかりました、二度といじめや恐喝をしません、と二人が来るまで唱え続けるように命じた。

 ゲームセンターに現れた二人が捕まえられて隠れ家に連行された。
 二人は窓から裏庭で高木が正座してひざの痛みに顔をゆがめながらおわびの言葉を唱えさせられている姿を見せられた。
そして高木と同様の質問を受けながら数度水槽へ落とされた。ぐったりした二人は高木に代わって砂利の上に正座させられ、高木と同じ言葉を百回唱えさせられた。
 二人に二度と人をいじめたり脅かしたりしないことと高木と手を切ることを紙に書かせて、街の中で解放した。いつも監視していることを付け加えた。

 支部長は高木を胸のあたりまで水を入れた水槽に入れ、上からロープで吊るして立たせて次の日まで放置した。
高木はよく外泊するので、高木の家の者が特に騒ぐことはないだろうと読んでいた。
 次の日の朝、口を開けて腑抜けのようになった高木を吊り上げて、脅かした4人の家を回って手をついて謝り金を返すことと、二度と悪いことをしないことを約束させた。約束を破れば今回よりも厳しい罰を与えると言い添えて高木を街で放り出した。


 一週間ほどして、今村の家へ両親に付き添われて高木少年がやって来た。
今村夫婦と長男が応対したが、高木少年の姿を見てがく然とした。
がっしりした体格だった高木少年は見る影もなくやつれ、鋭く冷たい光を放っていた眼はうつろになり、首を垂れて口は半開き状態で髪の毛が一部白くなっていた。
高木親子は玄関に手をついていじめと恐喝について謝罪した。

 今村の長男は翌週から学校へ復帰した。

 今村はこれで一件落着として良いのか疑問が湧いてきた。
たとえ悪人であっても、一部の人間の判断で徹底的な打撃を与えて人間を破壊するようなことをしてもよかったのか、 いやそんな常識的な無難な判断をしていては陰湿ないじめや脅かしは絶対になくならないではないか、 しかし悪人を廃人のようにしてしまうような権限がはたして私たちにあるのか、---- 考えが堂々巡りした。
今村は当分の間特別教育委員会の活動に出ないようにしようと決めた。

 今村は次の土曜日にT駅前の雑居ビルにある支部を訪問した。
支部長にしばらく活動を見合わせたいと告げると、支部長は 今日のニュースを知っていますか、と言った。
支部長は今村に、高校生が同じ学校の生徒グループから長期間ケイタイメールで金を要求され続けて飛び降り自殺をしたという記事を見せ、 我々の活動はやはり必要だと思いませんか、 と言いながら今村の肩に軽く触れた。
すると全身に快い刺激が走り、今村の気持ちが高揚した。
頭の中のもやは遠くへ消え去り、 そうですね、活動をさらに活発にしけなければいけませんね、 と今村は目を輝かせて答えた。

 次の作戦の打ち合わせをし、支部長と碁を一番打って支部を出た。 真昼の空は薄黒い雲で覆われ、駅前の通りを風が乾いた音を立てて吹いていた。   
                                           おわり
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# by oranu-tann | 2007-09-22 19:51 | 小さな幻想

押入れ


 文夫は、ある日久しぶりに田舎にある実家に泊まった。
父親の十三回忌の夜、兄と一杯飲んで昔話をした。母親と兄の奥さんはお坊さんや親戚の接待などで疲れて先に寝た。
がんこ一徹の父親の思い出も多かったが、それ以上に父親が亡くなる10年前に死んだ弟のことが色々と思い出された。

 弟の広志は陽気な男で、旅が好きだった。車は持たず給料のほとんどを旅に使っていたようだった。日本地図と時刻表を持って電車の中やホテルで次の行き先を決めるというような旅が多かったようだ。
 一度川崎市にある広志が勤めていた会社の独身寮へ行ったことがあるが、壁一面に旅先の写真が張ってあった。人物は全く写っていない風景写真ばかりだった。

 私が独身時代に住んでいた会社の寮や結婚してから住んだ社宅へも時々ふらりとやって来て泊まっていったりした。広志は飲みながら知床旅情や赤色エレジーをよく歌った。
実家へガールフレンドを連れてきたこともあったようだ。 
  
 広志は、あるとき同僚の運転する車の助手席に乗っていて、その車が事故を起こしてひっくり返ったときに首を痛めたそうで、右手と右足が不自由になり会社をやめて実家へ戻った。

 そして広志は一年ほど経ったある日の朝ふとんの中で死んでいた。
前夜に久しぶりに飲みに出て行き陽気に歌いながら帰って来て、ふらつきながら台所で水を飲んだ後自分の部屋へ入っていったそうである。
朝遅くなっても起きてこないので母親がそろそろ起きんか、と肩を揺すっても目を開けなかったとのことである。
預金通帳の残高はほとんどなかったようで、三十余年の人生を思い切り楽しんで生きたという印象であった。

 兄との話は尽きなく、ずいぶん飲んでしまった。
広志が使っていた部屋が空いたままになっていて、文夫はその部屋で寝た。

 夜中の2時ごろに、酔いがさめて目が開いた。
長い年月で黒ずんだ天井を見上げて、そういえば広志は独り寝の子守唄も好きだったなあ、と思い出してしばらく目を開けていた。子供のころは実際にこの天井裏でネズミの走る音が時々聞こえたものだった。
ネズミの音はしなかったが、電車が走っているようなゴオーという音が下の方で低く聞こえた。
以前に名古屋の単身赴任寮に入っていたとき、地下鉄のK駅の真上付近に寮があったので、夜寝ていると時々地下鉄の音が下から聞こえてきたことを思い出した。その音によく似ていた。

 しばらくしてまたゴオーという音がするので、起きてその音の方向をさぐるとその音は押入れの中から出ていた。
変な話だと思いながらも好奇心がわき、押入れを開けて衣装入れの箱を外に出して懐中電灯を持って中へもぐりこんだ。
 すると、押入れの奥の板に何か文字が書いてあるのを見つけた。

 旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる    広志の字だった。

 広志が体を悪くして実家へ帰ってから、旅をするような贅沢もできずに家にこもる毎日が辛かったのだろうな、と文夫は思った。

 弟が懐かしくなり思わずその文字の書かれた板に寄りかかると、ぎぎっと板がわずかに動いた。なんだろうと思いながらさらに押すと上部を支点にして90度近く外へ開き、明るい光が入ってきた。

 外を見るとそこには真昼の草原が広がっていた。
左の山の方から電車が近づく音がした。下を覗き込むと真下に無人の駅があり、この場所からプラットホームへ下りるじぐざぐの階段があった。
電車がゴオーと入ってきて止まり、やがて発車しゴオーと音を立てて右の方へ去っていった。右の方には遠くに町並みが見え、そのさらに向こうに海が見えた。

 広志はつらい日を送っているときに、 旅をしたい、しかしもう夢の中でしかできない、 と悲しいあきらめの気持ちで芭蕉の句を書いたのかもしれない。そのときに板が動いて開き、外の世界を見たのかもしれない。
そして有り金をはたいて飲んで帰った夜に、広志はこの階段を下りて旅に出たのだろうと思った。

 文夫は、この階段を下りたい、広志に会えるかもしれない、という強い思いが起きたが、この先は広志の世界なのだ、向こう側の世界なのだ、 とかろうじて思い留まった。
そして押入れを元に戻し、水を一杯飲んで布団に戻り眠った。

 朝起きると昨夜のことを思い出し、はたしてあれは夢だったのだろうかと思った。
それをどうしても確かめたくなり、押入れの衣装箱を引っ張り出して奥の板を見ると、やはり昨夜見たとおりの芭蕉の句が書いてあった。

 しかし、文夫はその板を押してみることはやめた。
ここを押すのは自分の人生が行き詰まって、どうしてもこの世を去りたくなった時にしよう、と思った。そのときに板に何かを書く必要があるのなら、厭離穢土 欣求浄土とでも書くかと思った。

 それから幾星霜を経て、文夫は時折りあの押入れに入りたくなったこともあったが、今もそれをしないで生きているようである。    
                           おわり
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# by oranu-tann | 2007-09-12 23:03 | 小さな幻想

犬の散歩


 ある日曜日の夕方、杉田光男はメス犬のシロの散歩をさせていた。土曜と日曜の散歩は彼の役目だった。いつも朝は北回り夕方は南回りで、それぞれ大体決めている道順で団地の外れまで出て30分余り散歩させていた。

 犬は獲物をさがしテリトリーを見回る本能が残っているため、毎日の散歩が欠かせない。テリトリーの要所要所でフンや小便をし、それを後ろ足で周囲に撒き散らして自分の存在を示すのだそうである。
それをさせないと、犬の健康上良くないらしい。フンの回収方法は色々あるが、犬がかがんだときに新聞紙を四つ折りにしたものですばやくフンを受けて、それを丸めてスーパーのビニール袋に入れるというやり方を杉田はしている。フンが地面に落ちる前に処理するわけである。

 季節は初秋、街路樹の中でアオマツムシが鳴き、草むらではコオロギの声がしていた。
 心無き 身にもあわれは知られけり 虫鳴く野辺の 秋の夕暮れ などと替え歌を作って歩いていた。
南回りコースの途上に林があり、その林の外に沿って歩くと中ほどに林に入る小道がある。
人がようやく通れるほどの小道で前から少し気にはなっていたが、この日はふとその小道へ入ってみたくなった。
うっそうとした薄暗い林が怖かったのか、シロはいやがって両足でふんばり小道に入ろうとしなかった。怖くないよ、と強く紐を引っ張ってもシロは動こうとせず、その場に座り込んでしまった。
しょうがないな、と言いながら紐を木につなぎ、ちょっとここで待っていろよ、とシロの頭をなでで奥へ入って行った。
せっかくのささやかな好奇心を反故にしたくなかった。

 林は自然生えの雑木が茂り、夕方の薄暗い小道には小石と枯葉の中にドングリの実などが落ちていて、奥の方でツクツクボウシが鳴いていた。
行き止まりになったら引き返そうと思いながら進んでいくと片側に木立が途切れた場所があり、その少し奥に小さな家が建っていた。

 こんなところに家が、と思いながらその家の庭を見ると、若い女の人がじょろで庭木や花に水をやっていた。
その人は杉田の姿に気がついて、笑みを浮かべながら こんにちわ、  と 声をかけた。
杉田は驚いた。
はるか昔、杉田が学生のころ親しくしていた伊藤朋子に姿も声もそっくりだったからだ。

 そんなわけがない、と思った瞬間、目の前が暗くなり頭がくらくらとして思わず近くの木につかまった。

すぐ目の前で、 杉田さん、どうしたの? と声がしたので杉田はわれに返った。 伊藤朋子の姿がそこにあった。
やあ伊藤さん、久しぶり、---君の家はここだったのか、 と言った。
彼女は、そうよ、小さい家でしょ---今日はレコード聴いてくれるわね? と杉田に言った。

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 当時二人は地方大学の文理学部の学生で、杉田光男は法学科、伊藤朋子は文学科だった。1,2年の教養課程の時に時々教室で一緒になり帰り道も同じ電車に乗るのでなんとなく親しくなり、そのうちに時々大学の食堂や帰り道の喫茶店などで小説や映画や音楽などの話をするような間柄になった。
演奏会を聴きに行ったり、学生デモの列に入って一緒に歩いたりしたこともあった。

 伊藤朋子はカトリック教徒で、誘われて教会のミサへ一度だけ行った。
白いベールを頭からかけ、ひざまずいて祈っている彼女の姿を後ろの方の席から見ていた。
杉田はそのとき、どんな宗教も信じることができない自分と比べて、敬虔なクリスチャンの彼女がとても遠いところにいる存在であるように感じた。

 ある日、帰りの電車の中で音楽の話しをしているとき、彼女が、 タンゴのレコードがあるから私の家に聴きに来ない?  と誘った。
杉田はそのとき一瞬胸の鼓動が高まったが、 ---また今度にするよ、 とあいまいに答えた。
そして自分の降りる駅で、じゃあまた、 と言って降りた。

 それからも時々二人は会って色々な話をしたが、どちらからもレコードを聴く話はしなかった。気が合うので親しくはしていても互いに少し距離をおいているのを感じていた。

 伊藤朋子の父親が急死し、彼女は学生生活を続けられなくなり二年生の終わりになって中退していった。お元気で、 と言い合って別れた。

 そして多くの歳月が流れたが、時々、伊藤朋子はどうしているのだろう、と思うことがあった。
もしあの時、気後れせずに彼女の家へレコードを聴きに行ったらどうなっていたのだろうと考えたりした。

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 じょろを持った伊藤朋子は、最後に別れた時のままだった。
杉田は レコードぜひ聴きたいよ、 と答えた。
玄関の古いガラス戸を開けて家に入り、導かれるまま居間のソファーに座った。
伊藤朋子はレコードプレーヤーにリカルドサントス楽団のレコードをセットし、杉田の横に座った。

 真珠とりのタンゴが流れた。二人はなんの会話も必要がないかのように目をつむりながら聴いた。
管弦楽に包まれるようにマンドリン、男声、女声が幻想的な調べを奏でた。
思わず胸が高鳴り、杉田は朋子の手に触れた。彼女は目をつむったままその手を握った。
彼女の手のぬくもりは、最後に握手をして別れたときのぬくもりだった。

 曲がだんだん遠のいていき、やがて静かになった。

 まぶしい光で目を開けると、西の山に沈みかけた太陽から一筋の光が木々の間を抜けて差し込んで来ていた。
杉田は林の中の小道で木につかまって立っていた。
頭はぼおっとしていたが、シロの鳴き声がしたので急いで林の入り口に戻ると、シロがおもいきり尻尾を振って飼い主にかけ寄った。
家に帰ると、杉田の奥さんが、今日はずいぶん長い散歩だったわね、と言った。

 それからもずっとシロの散歩は続いたが、その林の小道の中へ足を踏み入れることはなかった。
その林は数年後に宅地造成工事で切り開かれて跡形もなく消えてしまった。
                                                  おわり
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# by oranu-tann | 2007-09-11 22:20 | 小さな幻想

日本の保守政治家を考えるー終戦記念日にー (1)


                    19.8.15

 戦争とは、空から降ってくる爆弾や砲弾で人が死に、人の住む町が廃墟になり、人が飢えに苦しむことであった。
または兵隊になって敵兵や住民を殺し、あるいは密林の中や荒野で飢えたり病気になって死んだり死ぬ思いを味わうことであった。

 あれからもう62年も経ったので、住民や兵隊として様々な恐怖と苦しみを味わった人や無抵抗の人を殺した人の多くは死に、あるいはつらい思い出を抱きながら生き、それを経験しなかった人たちはそれぞれに自分の人生を生きている。

 しかしそういうこととは関係なく、日本の為政者は今、美しい軍事大国を夢見てその歩を進めている。

(保守政治家と憲法9条)

 保守政治家の中でもタカ派とされる安倍氏は、参議院選挙にあたり憲法改正を争点にすると唱えていたが、そこまで至らない問題が色々生じて大敗したため、改憲の問題はしばらく棚上げの状態になった感がある。

しかし憲法改正は自民党の結党以来の念願であり、今まではそれを明言することにためらいがあったが、安倍首相により改憲を目指すスイッチが入ったので早晩正面に出てくる問題である。

たとえば今後テロ特措法延長の議論などを経て衆議院選挙が行なわれた後などにもし自民・民主の大連立などの形ができたりすると、民主党内の一部に反対論があったとしても、憲法変更が衆参両院とも三分の二の賛成で可決という条件が意外と早く作られる可能性がある。

 そして3,4年後にもし国民投票になれば、新聞などがその重大性を訴えたとしても、『自衛隊を憲法に明記するだけのこと』『国際協力は必要』『国連軍への参加なら問題はない』という雰囲気の中で、多くの国民は二大政党が賛成していることだからと屈託なく賛成投票をして、あっさりと9条変更が決まってしまうかもしれない。
後は、変更された簡潔な条文の解釈が自由に行なわれることになる。

そうなればアメリカや韓国の国民のように、いよいよ日本国民に『戦争と平和』の問題が突きつけられることになる。
憲法で定められた「自衛軍」が、国連軍か多国籍軍としてどこかの戦争に出動して相手兵を殺したり、日本側に死傷者が出るということもあり得る。
アメリカとアジアのどこかの国との軍事紛争が生じれば、軍事同盟にもとづく集団的自衛権の行使ということで参戦し、その結果日本の基地や都市にミサイルが飛来するなどという事態もあり得ないことではない。

将来、アメリカや韓国にならって国民皆兵制が決定されるかもしれない。国民は納税義務と同じ理屈で兵役義務を負うことになるわけである。

 以上は仮のストーリーではあるが、もし自民党と改憲賛成の小沢民主党との変更条文の調整などが成り立てば、日本は「自衛軍」という名の行動の制約がほぼなくなった強力な軍事力を持ち、当面はアメリカ軍に追随しながら世界の色々な危険な場面に随時登場していくことになるわけである。


62年前に終わったあの悲惨な戦争を遂行した主役は軍部であったが、政友会・民政党という保守党が積極的な協力者となり、戦後両党は名前を変えて生き残り、やがて合同して現在の保守党である自民党となった。

自民党は「占領軍に押し付けられた」憲法を自主憲法に変えて、戦力を保持することを党の最大の目的としてスタートした。
 その後いわゆる『解釈改憲』を強行しながら実質的に戦力保持を実現し、世界有数の軍隊をつくりあげてきたのであるが、さらに自衛隊を戦闘目的で海外派兵したり、アメリカと交戦する国・勢力を自衛隊が攻撃するということになるとさすがに憲法解釈の限界をはるかに超えるということで、改憲行動が本格化したわけである。

終戦記念日にあたり、戦前戦後を通して為政者の席に座り続け、敗戦にもめげず再び強力な軍備を志向し戦争をいとわない保守党、戦争を国家の観点から眺め国民の目では見ない保守政治家というものは一体なんなのかということを少し考えてみることにした。

(1)終戦の日

終戦の日の昭和20年8月15日、陸軍省、海軍省、内務省、外務省などの軍事や戦争に関係する各省および地方行政機関では文書焼却作業におおわらわだった。
文書焼却の指示は朝鮮、台湾、中国などの海外の軍・行政機関や戦場の記録写真などを保管する新聞社などにも及んでいた。

首都東京が3月の大空襲で焼け野が原になり、その広大な焼け跡と大量の死者と焼け出されたおびただしい国民の姿を目の当たりにしながら平然と戦争政策を続けた為政者たちが、いよいよ連合国に降伏をすると一転してわが身の戦争責任を逃れるために数々の証拠を闇に葬り去ろうと懸命になっていたのであった。

各省の庭にうず高く積まれた文書が空を焦がして燃え、数日間昼夜を問わずその炎の中に次から次へと書類が投げ込まれて、醜くいまわしい過去がひとつ残らず煙になって空のかなたへ消えていくかのごとくであった。

恫喝による朝鮮支配、柳条湖事件、満州帝国樹立、南京事件、731部隊、毒ガス使用、華僑処刑、慰安所、捕虜の処刑や酷使、沖縄島民の虐待・自決強要-----それらのことがまるでなにもなかったかのように戦後が始まり、東京裁判はあったが、その後も為政者の口から国民に醜く忌まわしい過去のことが積極的に語られるということはついぞなかった。

 (東京裁判では戦勝国側の残虐行為だけでなく、アメリカの都合により731部隊や毒ガス使用のことは表面に出されなかった。)

 軍・政府関係者が厖大な書類で連日キャンプファイヤーをしている頃、満州では8月15日が過ぎても悲劇が続いていた。
政府の政策により集められた27万人の満蒙開拓民が、8月初めに秘密裏に撤退した関東軍から満州の各地で置き去りにされ、8月9日から始まったソ連軍の猛攻撃の中を逃げ惑う間に自殺、病死、餓死を含めて女性、子供、老人を中心に約8万人が悲惨な死を遂げ、その後も開拓民以外の民間人を含めて日本へ帰還できずに死ぬ者も多く出て、生き残った者もその多くがその後の苦しい人生を強いられた。

戦後になって関東軍の旧幹部は、そのことについて「開拓民を見殺しにしたのかと問われれば、あくまで作戦上の要請であったと答えるのみである」と冷然と述べている。
ソ連軍に関東軍が最前線にいるように見せかけて、開拓民を残したままひそかに撤退することが作戦上必要だったということである。
『軍隊は国民を守ることを目的にはしていない』といわれるゆえんである。
(中国への出兵理由は常に『日本人居留民の保護のため』ではあったが)

軍部の支配の下でそれと連携しながら戦前の政治を担当した保守政治家は、戦争が終わっても燃やした書類のようには政治の世界から消えず、そのまま堂々と為政者の席に残った。ひとたび巣鴨の監獄に入った者も舞い戻って大臣や首相になっている。

国民は、あの戦争が大国アメリカを敵にした無謀なものだったことや一般国民の悲惨な被害のことは比較的よく知っていたが、アジアの各地に侵攻した国家の本当の目的、そのために日本軍が謀略や恫喝を駆使したこと、そして外国や沖縄で行なった数々の非人道的な行為のことなどはいつまで経っても知らされないままだった。

また戦地の空や海や地上で活躍した将兵の数々の勇ましい物語は大いに聞かされていても、降伏が許されないために無意味な切り込み・万歳突撃をして多くの将兵が死んだ実態のことは聞かされなかった。
さらに、戦死とされる2百万人余の日本兵の大半が病死・餓死だったということもあまり知らされなかったし、まして耐えられない飢えと渇きの果てに死んだその無惨な状況については一切伏せられていた。その遺体の多くはまだ南の島々などに放置されているようである。

日本の保守政治家がドイツの戦後政治家とは異なり、国家の過去をできるだけ正当で立派なものにしておき、美しくない過去はできるだけ伏せておこうと努めた結果である。

終戦直後の保守政治家は、治安維持法・不敬罪・特高警察制度などの存続を主張したり、憲法改正論議においては天皇大権の存続を要請したり、ストライキを多発する労働組合を『不逞のやから』と非難したりというような戦前のままの意識水準であった。

また、神話上の神武天皇即位の日を国家の紀元とする戦前の「紀元節」がそのまま戦後の『建国記念日』となり、万世一系の天皇の永続を願う戦前の国歌『君が代』がそのまま戦後の国歌とされたが、ともに保守政治家の主張を押し通したものであった。
靖国神社を国家施設とする法案を繰り返し国会に上程したこととあわせて、日本の保守政治家の復古的な体質が強く現れていた。

日本が憲法上国民主権の民主主義国になってから早や60年余が過ぎ、その間
軍隊の復活、日米安保条約、高度経済成長があり、企業の海外進出が進み、東西冷戦構造はなくなり、そして21世紀になったのだが、依然として保守政治家が日本の権力の座にすわり続けている。

そして保守政治家は、今では戦前のように「天皇の大権を利用して武力で植民地を獲得し、他国を侵略して支配地・権益を拡大する」というような古い形ではなく、当面は対米協調を基本にして、「国際貢献」や「世界平和への責任」といったインターナショナルな大義名分をかかげて、企業の海外進出にあわせて軍事面でも国際舞台に進出し、経済・軍事両面での大国になることを目指しているようである。

(2)保守政治家の問題発言

近年になっても保守政治家の放言などが相変わらずマスコミを賑わしており、その中に彼らの戦前と変わらない体質や心情が端的に現れているようである。

政治家というのは言葉が命なので、本来その発言にはかなり慎重なはずである。聴衆に受けることをたくみにしゃべり、不利になることは注意深く避けることにたけたプロであるはずなのに、それでも辞任につながるような問題発言をするのは何故なのだろう。

まず考えられることは、長年政権の座に居続けてきたことによるおごりからくる気の緩みがあり、また長く為政者の側にいる者として高い所から国民を見下ろすような習性が身に着いたため、「これぐらいのことは言っても大丈夫」として国民を甘く見ているところがあるからだろう。それは多くの場合何の問題もなく済んだが、今回の参議院選挙では相当マイナスになったようである。

もっと本質的と思われることは、彼らは政治の世界に身をおく人間なので慎重にしているつもりでも放言してしまうぐらいに腹の中に熱いものがたまっているからだろう。その熱いものがマグマのようになっているので、ちょっとした気の緩みでそれがあふれ出すということではないだろうか。

 彼らが聴衆の前などで話をする際に、日ごろから腹の中に持っている10ある思い・憤懣のうち控えめに2か3をその場のたとえ話などとして出したつもりが、往々にして立派な失言になるわけである。たぶんその時には特段何とも思わず、あとから指摘されても「俺の言い方のどこがおかしいんだ」とひとたびは開き直ったあとで、「ちょっとまずかったかな」と思うのだろう。

保守政治家は、終戦後とは異なり近年は『国際貢献』などのインターナショナルな主張を唱えて様変わりしている面もあり、また必ずしも天皇を重視してはいないようであるが、根本のところではやはり依然として [日本の] 保守政治家なのである。

彼らの問題発言の内容を見てみると、そのたまっている熱いものは、人権や民主主義に関するもの、戦前の国家の行為に関するもの、憲法の平和主義に関するものなどに三分類できるようである。

①人権や民主主義に関するもの

 保守政治家に共通する特徴の一つとして、国家の利益・威信・名誉などを重んじる傾向があるため、ときとしてそれとぶつかることのある人権や民主主義というものに対する感覚が希薄である(というよりも嫌悪している)ことで、それが「女は産む機械」とか「人権メタボリック」とか「アルツハイマー」などの言葉として時々ひょっこりと顔を出すのである。

もし、公開の場所ではなく完全に秘密が守れる仲間うちの場所ならもっとはっきり次のように言ったことだろう。

(女は産む機械)

最近の若い女どもはけしからん。自分だけ楽しく生きればよいなどと非国民な考えを持ち、祖先から受け継いだ国家を継続していくために子孫を残すという女の義務を果たさず、結婚しなかったり子供もろくに産まないくせに、年が寄れば一人前に年金の世話になろうという魂胆だ。これも戦後の民主主義、個人主義、男女同権の弊害のひとつだ。


(人権メタボリック)

人権人権と馬鹿の一つ覚えのようなことを唱えて、国民の義務を果たさず国に背く態度ばかりをとるやつらには困ったもんだ。大和民族の伝統と規範を大切にした戦前の国民の方がよっぽどか立派だったよ。教育のやり方を変えて子供の頃から規律と愛国と公共精神をしっかりと教えて、日本精神と日本人の誇りを取り戻さなきゃいかん。


(アルツハイマー)

役に立たない国民の典型がアルツハイマーの年寄りだ。そもそもばばあもじじいも国にとっては有害無益だよ。この連中は国費を浪費するばかりで国家の足をひっぱっている。生きている間は年金保険料を納めてもらうようにせにゃいかんし、長く入院している老人を病院から追い出せるぐらいに医療費負担をうんと上げなきゃいかん。


といった具合である。自分の政治信条から見て普段からにがにがしく思っている世の中の風潮などについて、控えめに遠まわしに言ったつもりが失言になった、というわけである。

彼らは、「民主主義」は利己主義や伝統の否定や衆愚政治につながり、「人権」は日本古来の道徳や国益や公共精神を無視する態度を強めるとして大なり小なりの嫌悪感を持っていることと思う。

なお、依然として天皇を崇拝する歴史観や心情を持った古いタイプの保守政治家の場合は、民主主義や人権は天皇の存在と相容れない観念であるため特に嫌悪感が強いだろう。
たとえば伊吹文部科学大臣のホームページを見るとかなり深く皇室を崇敬している心情が出ており、「天皇の存続はすなわち国体の維持であり日本国の根幹である」という意味のことを述べている。
また彼の発言に戦後の人権や民主主義の風潮を忌避し古来からの伝統的な道徳・規範の復活を願っている気分が色濃く出ている。

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# by oranu-tann | 2007-08-15 00:37 | アジアの平和

日本の保守政治家を考えるー終戦記念日にー (2)


②戦前の国家の行為に関するもの

戦前の国家行動に対する保守政治家の評価は必ずしも一様ではないが、彼らの熱い思いが出る分野なので、発言の量もそれだけ多くなっている。

柳条湖事件以後の日本軍の行動について侵略性を認める者もいるが少数であり、大半の保守政治家は朝鮮進出から太平洋戦争に至る全過程を肯定的に評価しているようである。

  それと、戦前の政府の計画や軍の命令にもとづく行為であったことを示す証拠が大量に焼却されて事実関係がわかりずらくなっているという事情とも関係して、大筋の計画から個々の行為に至るまで国家の関与または事実そのものを否定する傾向が強い。

『朝鮮併合は合法的であり、朝鮮の近代化に貢献した』

『日中戦争は自衛の戦争であり、日本に侵略の意図はなかった』

『大東亜戦争はアジアを欧米列強から解放する役割を果たした』

『南京大虐殺というものはなく、政治的プロパガンダの産物である』

『朝鮮の創氏改名は朝鮮人自身が望んでいたことから始まった』

『従軍慰安婦は業者の自由営業であり、国家による強制はなかった』

『沖縄の集団自決は住民の自発的な意志によるものであった』

『A級戦犯とされた人たちには戦争指導者として敗戦の責任はあるが、彼ら
 が誤ったことをしたとは思わない』     

この場合は、歴史観や事実認否の問題もからむので、発言が必ずしも放言というわけではなく、むしろ確信を持って語っていることが多いと思われるが、複数の閣僚がその問題発言のために辞任している。

『朝鮮の植民地支配と中国に対する侵略などによりアジアの方々に多大の被害を与えた』という日本政府が対外的に表現している正式見解と明らかに相違する表現をしていることが多いのである。

これらの発言は、戦前の日本政府、日本軍の政策や軍事行動を基本的に肯定しているが、遠慮がちに言っている感じで完全な本音ではないようである。

本音を自由に言わせればたぶん次のようになるのではないかと思う。

朝鮮併合について

・日本はひ弱な朝鮮を中国やロシアの支配から守ってやり、あわせて日本の安全を確保するため、日清・日露の戦争を行って尊い民族の血を流したのだ。
また日韓併合は優れた国・進んだ国が劣った国・後れた国を庇護し育てるために行なわれたもので、国際的にも認められた合法的なものであり、創氏改名も朝鮮人の側からの要望があり行なったものである。

・そもそも朝鮮は天然資源も民族としての力も乏しく植民地としての価値はなかったのであり、わが国は朝鮮を近代化させるために多大な国費を投入し、その成果として朝鮮半島のインフラ整備や経済および人的資源の育成が実現したのである。

・反日宣伝をする者は朝鮮併合は悪いことだったかのように言うが自力で近代化のできない国に対してわが国が救いの手を差し伸べて多大な恩恵をもたらしたものであり、朝鮮から感謝されこそすれ恨まれるようなことではない。

日中戦争について

①満州事変は、張作霖が日本への恩義を忘れて様々な排日運動を行い度重なる経済活動への妨害工作により日本人居留民の生活が危機に陥ったため、これに対する我が国の防衛措置として行なったものである。

② 満州帝国は、満州族が自分たちの土地に王道楽土をめざして建設した国家であり、日本は満州族の夢の実現と満州におけるわが国の諸権利をソ連から防衛するためにその国家建設に積極的に協力したものである。

③盧溝橋事件は、条約による正当な権利に基づき演習を行なっていた日本軍に対して中国軍が不当な挑発的射撃を繰り返した事件である。
日本軍はそれに対して忍耐の限度に達して反撃をしたものであり、その後も日本は和平努力を重ねたが、中国側が戦争を拡大させたのである。

④ そもそも日中戦争は、文明的に後れた中国が優秀な日本の力、善意を理解せず、ことあるごとに日本を侮辱し、日本を追い出そうと謀略や居留民迫害を繰り返したため、自衛のためと横暴な中国をこらしめるためやむを得ず行なったものである。
 日本軍は国際法と軍紀を守って行動をしたのであり、南京事件は中国や国内左翼がでっちあげたものである。また、慰安所や慰安婦は民間業者の営業であり国は関与していない。

南方進出、太平洋戦争について

・南方進出は、わが国が盟主となってアジア諸国を欧米列強の支配から解放し東亜の新秩序をつくるためのものであり、日本軍はアジアの各国から解放者として大いに歓迎されたのである。

・米英との戦争は、欧米列強が自国の植民地権益を守るために日本に対する包囲陣を敷き、それをわが国が突破するために戦ったのであり、アジアの解放と日本の自存自衛のための戦いであった。


③ 憲法の平和主義などに関するもの

この分野は、安倍首相およびその閣僚によるものが多くを占めている。
デモクラシーや人権思想への懐疑心、嫌悪感を持ちながらも、アメリカとの同盟関係を強化し、経済面だけでなく軍事面でも大国化をめざす方向性を持っているようである。
国民の平和な生活や近隣諸国との友好関係の維持ということよりも、国家の利益・威信・名誉ということに強い関心を抱けば、向かう方向はどうしても豊かな経済力と強力な軍備を保有する世界に誇れる偉大な国家ということになるのだろう。

 なお、いわゆる右翼は、戦前日本がアメリカなどの植民地保有国と戦ったことや戦後の占領政策への反発から「反米」の立場をとるものも結構いると思われるが、日本の保守政治家はほとんどが「親米」であり、中でもアメリカの軍事行動を全て支持する「アメリカ追随」の姿勢をとる者が多い。ただその追随姿勢は日本が強大になるまでの一時的なものかもしれない。


『今の憲法はアメリカに押し付けられたものであり、日本の歴史と伝統が反映されていない。日本民族としての自主的な憲法に改めるべきである。』

『憲法の前文は、戦勝国に対するわび証文のようなものである』

『憲法9条は時代にそぐわない典型的な条文であり、独立国としての要件を欠く条文である』

『戦後のレジームから脱却しなければならない』

『占領の10年で途絶えた日本独自の規範意識を復活させる努力をすることが教育の根本哲学である』

『広島、長崎への原爆投下で多くの人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている』

『核兵器を所有するべきかどうかを論議することは問題ないだろう』

 保守政治家は、戦前戦後を通して国家体制護持のため当然に「反共」が基本であり、東西対立の時代には安保条約にもとづき反社会主義陣営のアメリカと連携(実態は従属)をしてきた経緯があり、現在では物騒な北朝鮮への対策としてアメリカとの関係を緊密にしておきたいという思惑もある。

またあらゆる場面でアメリカとの間で集団的自衛権が行使できる態勢を整えたいと考えているようである。
あわせて、日本が『国際貢献、世界平和への責任』を果たすという大義名分により軍事大国化をはかるためにはアメリカとの連携が重要だと考えているのだろう。
現実に自衛隊は米軍の十分な技術指導を受け、両軍は組織的にも上下的な連携を保っている。

彼らの本心をすなおに吐露させれば、次のようになるのではないだろうか。

あ)戦後アメリカに強要された憲法により、日本が満足な戦力を持てず交戦もろくにできないために、北朝鮮や韓国や中国から甘く見られているのだ。
経済力に見合った軍事力を保有することは当然であり、強大な軍事力によりそれらの国に大国日本の威信を示すべきである。

い)経済力に相応した国際的な責務を果たすという面においても、国連軍あるいは多国籍軍として紛争地域などでの軍事行動に直接参加できるようにすることも国家の名誉として重要である。

う)また、アメリカが北朝鮮を先制攻撃する事態となった場合や中国と台湾の間で武力衝突が発生した場合などに備えて、ミサイル防御体制を整えるとともに、中距離ミサイルや爆撃機、航空母艦、原子力潜水艦などを順次保有し、あらゆる状況に対応できるように応戦能力を高めることも重要である。

え)さらに将来的には、海外特にアジアに進出した日本企業の安全な操業、シーレーンの防衛、市場の安定の確保をはかるとともに、アメリカに代わりアジアのリーダーとなることをめざして、アジア地域あるいは個別の国との安全保障条約を締結し、アジアでの前進基地を確保し必要な艦船や航空機を配置することも視野に入れていきたい。

お)国民皆兵制度は、アメリカ,韓国でも早くから実施されている普通の制度であるとして適当な時期に議論の対象にし,実施にこぎつけたい。
また、日本はいつまでも「あわれな被爆国」を演じているべきではなく、核抑止力として、また大国の証として核保有は考慮する価値がある。。まず非核三原則を北朝鮮の核使用を抑止する必要があるなどの理由をつけて反故にしたうえで、核保有を肯定的に議論するべきである。


(3)保守主義と現在の保守政権

①保守主義

 保守党というのは保守主義の政党ということであるが、保守主義とは本来はつぎのような内容のものであり、18世紀のイギリスで、フランスの革命運動を非難する思想として生まれたとのことである。

(ア)民族の試行錯誤を重ねた努力の歴史の中から形成された思想、考え方、道徳(=伝統)を重要視する姿勢
   従って、過去から受け継がれた現国家の維持・発展が重要であり、改革は長い歴史と伝統を守りながら漸進的に行なわれるべきであるとして、過去との連続性を断ち切るような急進的な変革は否定される。また王・貴族・騎士・僧侶などとは異なる市民とか民衆という新勢力を歓迎しない。

(イ)国民が持つ権利義務についても、過去から受け継がれた世襲のものであるという考え
   従って、王位も王に対する国民の忠誠義務も、過去から受け継がれたものであり、国民の権利はその受け継がれた枠の中にあるということになる。
「人は人として生まれたが故に本来的に人としての権利を持っている」という人権思想とは対照的なものである。そのような新しく人智が生み出した思想は人類の伝統に支えられていないため現実的でなく混乱をもたらすとして否定的であった。

 その保守思想は、国家を国民大衆の上位に位置づける国家主義や、民主主義の政治を衆愚政治として否定的に見る姿勢につながりやすいものである。
また、国家が過去に行なったことを肯定的に評価する態度になりがちである。

②開かれた保守主義

安倍首相は、「開かれた保守主義」を唱えているがその内容は次のようである。

『自分の生まれ育ったこの国に自信を持ち、今までの日本が紡いできた長い歴史を、その時代に生きた人たちの視点で見詰め直そうとする姿勢である。
そして歴史に根差した保守主義という基盤の上に立ちながらも、閉鎖的、排他的なものではなく現実に対しても虚心に目を向ける姿勢である』

「開かれた」というのは硬直的ではないという程度の意味だと思うが、それ以外はこの表現からは何もわからないので、彼が他のところで言っていることと合わせて考えると次のようである。

あ) 自国の行動にはそうしなければならなかった理由が必ずあるはずであり、国民は自国の歴史に自信を持ち、それを肯定的に理解するように努めるべきである。
戦勝国の判断に迎合して自国の行動を卑屈な目で見るべきではない。

い)過去の日本の行動を現在の価値観により批判するのは適当ではなく、その時代の価値観やその時代に生きた国民の目から見てどうだったのかという視点に立って見るべきである。
戦前の国家の行動は、他国の利益との衝突を伴ったが、国家の存続・繁栄を図るためのものとして必然性を持っており、また国民の圧倒的な支持を得たものであったはずである。

う)日本は、太古の昔から単一の大和民族が天皇を精神的中核として、他の民族に征服されることもなく一貫した悠久の歴史を紡いできたのであり、日本国民はその民族の歴史と伝統に対する誇りを忘れてはならない。

 
③ 今後の保守政治の流れ
 
 昔から保守政治家などに対して思い続けていることは、保守主義者とか国家主義者とかタカ派とかいわれる人たちは、他国民・自国民を問わず厖大な死者を出し、言い尽くせないほどの苦痛を長期にわたり与え続けたあの戦争について、特別悲惨だったとも悪いことだったともなんとも思っていないのではないか、ただ負けたことが悔しいというような野球の負け試合ぐらいにしか思っていないのではないか、ということである。

 国家は将棋の指し手であり国民は将棋のコマである、というような人間を物として国家存続・繁栄の手段としてみる冷酷な感覚が今もそのまま生きているのではないかと考えさせられるのである。

 そして彼らは、あの戦争を国家の悠久の歴史の中の壮大な物語の一ページとしてとらえ、他国・自国を問わず民間人の犠牲は戦争遂行上あり得ることとして二義的・末節的な問題であると認識し、また将兵の死は国のためにおおしく戦い砕け散った美しい姿として描いているのではないかと思うのである。


今、タカ派の安倍政権は参議院選挙で大敗し党内からも批判を浴びて弱体化している。

安倍首相が、防衛省をつくり教育基本法と国民投票法を制定し、今後憲法9条を変更して軍事行動の自由を獲得し、教育面での改革により国を愛し規範を重んじる国民を育てる態勢を整えて、美しい軍事大国に向けて歩を進めようとしていた矢先のことであった。

しかし今後の政権がどのように変化したとしても、この基本的な流れは大きくは変わらないように思える。

次の首相の最有力候補といわれる麻生外務大臣にしても、核武装論議容認発言や『創氏改名は朝鮮人の要望』『日本は台湾の教育水準をあげる立派なことをやった』という発言、部落差別発言、アルツハイマー発言など相当なタカ派で、かつ人権意識がかなり低い人物である。

 同じく次期首相候補の中川自民党政調会長は、非核三原則見直し論や反中国・韓国姿勢で知られ、靖国神社を毎年欠かさず参拝するなど明確なタカ派である。

一方民主党の小沢氏は、自民党時代に、戦前の日本の行為に対する朝鮮・中国の非難は「いわれのない怨念」であり謝罪は「土下座」であると主張、また自衛隊を国連軍に派遣できるように改憲することを強く主張した人物である。
確かにルワンダの民族紛争など国連軍の強力な介入が求められる事例は今後も少なくないだろうが、小沢氏などが人命救済の純粋な心情から主張しているとは思えないのだ。
また若手のリーダーで前委員長の前原氏は自民党よりも右寄りと評される改憲論者のようである。

 今後自民党と民主党との関係や衆議院議員選挙の結果や政界再編がどうなるのかなど先行きは不透明であるが、アメリカからの改憲要請も続くので9条改正の動きは一旦休止した後再び進行していくのではないだろうか。

そしてひょっとしたら、冒頭で述べたようなことになり、戦後初めて戦争参加により人を殺し、日本人の死者が出るということになるかもしれない。
そうならないように願うばかりである。
                            以上


 (追)

 今日、激しい雷が30分ほど続き飼い犬が家の中でブルブルと震えていた。
落雷の音を聞きながら、東京や沖縄や重慶やドレスデンやマニラなどの住民は、あの恐ろしい爆撃や砲撃の地響きと爆発音に落雷の百倍以上身が縮む思いがしたのだろうと想像した。
雷光が窓から入ってきたとき、広島・長崎の人たちはこの百倍以上の激しい光を見たのだろうと思った。

 戦争を悲惨なものとは思わず再び美しい軍事大国をめざし、内心では核兵器の所有をも考えているような為政者や、『あの戦争は正義の戦いだった』『国民は祖国のために立派に戦ったのだ』と冷然と述べる保守政治家は、戦争のときでもいつも安全な所で優雅に暮らしていることだろう。

一度そんな彼らに激しい砲爆撃の場に身をさらしてもらって、恐怖で身が縮む思いと将来にわたる苦痛とを味わってもらうと良いかもしれないと思った。

 それとも、残忍な侵略軍の捕虜になって針金で後ろ手に縛られて並んでもらい、銃剣で一人ずつ突き殺される順番をじっと待つという恐怖を味わう方が適当かもしれない。便衣兵だと決め付けられて無理やり家から処刑場へ連れてこられた住民であったなら、なおさらの恐怖だっただろう。

 あるいは、旧日本兵のようにニューギニアかビルマかフィリピンの猛暑のジャングルの中で、激しい敵の攻撃から逃げ続ける歳月を過ごしてもらい、食うものも水もなく蚊にさされてマラリアにかかり、靴はボロボロになって足の裏から血を流して、ふらふらと生死の境をなお歩き続ける体験をしてもらうのも良いかと思った。

そんな体験でもしない限り、楽園の中でいつも「自分の国家」のことを考えている彼らの夢は決してしぼまないだろう。          (8/19)







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# by oranu-tann | 2007-08-15 00:30 | アジアの平和